はじめに

小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書(2004)

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小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書(2003)

歴史学の意義とは何か?
この本では、次の三つの問題を提起しています。

一「歴史学は、歴史上の事実である「史実」にアクセスできるか」。
二「歴史を知ることは役に立つか、役に立つとすれば、どんなとき、どんな かたちで役に立つか」。
三「そもそも歴史学とは何か」。

著者は、歴史書と歴史小説の相違点、マルクス主義歴史学と構造主義、さらには、従軍慰安婦問題、日本人のアイデンティティなどの問題などを取りあげ、一つづつ論証していきます。

第一の問題「歴史学は史実にアクセスできるか」については、史料批判などによって「コミュニケーショナルに正しい認識」に至り、さらにそこから「より正しい解釈」に至ることはできるとしています。つまり、(絶対的な真実ではないが)その時点でもっとも確からしいことはわかるというものです(p.132)。

著者は述べています。「これが歴史学の営みです。歴史学ができること、しなければならないことは、それ以上でもないし、それ以下でもありません。ここに歴史学の存在可能性があります。」(p.81)

第二の問題「歴史は役に立つか」については、歴史家が真実性という基準をくぐり抜けた知識を供給するという仕事に取り組むとき、それは確実に社会の役に立つと述べます( p.132)。

「直接に社会の役に立とうとするのではなく、真実性を経由したうえで社会の役に立とうとすること。集団的なアイデンティティや記憶に介入しようとするのではなく、個人の日常生活に役立つ知識を提供しようとすること。このような仕事に取り組むとき、歴史学は社会の役に立つはずだ」(p.130)と、著者は語ります。

そして、歴史学の意義について、著者はエドワード・サイードの『知識人とは何か』を引用して、次のように述べています(p.194)。

「コモンセンス」(ここで著者のいうコモンセンスとは、歴史学が供給できるような“個人の日常生活に役立つ実践的な知識”です)と「懐疑する精神」そして「驚嘆する感性」(日常生活のなかで出会うさまざまな現象にわくわくし、そして、それと同時にとことん疑う、場合によっては相矛盾する資質)を身につけたとき、我々は、サイードの言う「知識人」になることができる。

つまり、「亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真理を語ろうとする言葉の使い手」*、つまり、つねに批判的な姿勢をとり続けようとする人の事です。

こんな人々を生み出すことにこそ、科学の意味や意義はあります。
もちろん、歴史学についても。

*サイード(Said, E.)『知識人とは何か』(大橋洋一訳、平凡社ライブラリー、1998年、p.20)

〜Under Construction


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